田中家所蔵

  70歳

早稲田大学所蔵

   自画像

    79歳

  順天堂大学所蔵

   日本医史学会

    年齢不詳

(もっとも晩年と思われる)

高橋家所蔵

右肖像画の讃と同じ

  80歳

早稲田大学所蔵

  石川大浪画

    80歳

田中家の玄白掛け軸の肖像画は、玄白が末娘八百した物で、200年間に渡り代々の漢方医田中家に伝わり、現在は鳥取市正蓮寺の田中氏が所蔵し、鳥取県立博物館に預けられている。八百が結婚したときに託したとすると、八百18~20歳、玄白80歳頃である。掛け軸の左上隅に「古稀」の烙印があり、70歳の時の肖像画である。玄白の肖像画の中では最古の物である。

落款もあるが、残念ながら同定できない(方豈陳人)。

 肖像画の上部に書かれた大胆な文字の解読は未だなされていない。玄白自筆のではない。東京国立博物館の元絵画室長松原氏の解読にしても、ほぼ文字は解かったがその内容は不明である。「徳存口碑 齢己垂頤子孫云仍 大国侍醫老而□壮 姿似真求尤萬世 □介軀□磊々其」

現存している玄白の肖像画は田中家の所有する物を含めて点である。他の点は、玄白自画像〔1811年、文化8年、明年80翁:79歳〕、石川大浪画〔1812年、文化9年、80歳〕、日本医史学会・順天堂大学所蔵の肖像画と『形影夜話』『蘭学事始』の口絵原画である。『形影夜話』『蘭学事始』の口絵原画は石川大浪の肖像画をしたものであり、正確には点である。面白いことに、これら点は左向きであり、娘八百に託した肖像画のみ右向きである。

79歳時の自画像に「偽の世にかりの契りとしりながら ほんじゃと云うにだまされた こゝは狐の宿かひなコンコン 文化八のとい此今様をうたひ踊り たりと夢みし姿の うつし絵 明年八十翁 九幸老人」という讃を入れた。『蘭学事始』の最後に、「かえすがえすも翁はに喜ぶ。開けなば、千百年の後々の医家真術を得て、生民救済の洪益あるべしと、手足舞踏雀躍へざる所なり。」とあり、将来の医学の進歩とその治療を喜び、踊っている様子がわれる。

1812年〔文化9年〕江戸の元旦は、うららかに明け渡り、あたかも玄白の長寿を祝福しているようだ。玄白は石川大浪が丹精込めて描きあげた肖像画の上に、長寿を得て迎えた新春ののどけさを一詩に託し、筆を取ってを加えた。「荏苒太平世無事保天真 復是烟霞改閑迎八十春 文化九年申正月元旦 九幸老人書」(荏苒たり太平の世無事天真を保つ 復是烟霞改まりかに迎う八十の春)

玄白にはすでに頭髪は無く、でこぼこした頭、ことに後頭部の具合、大きな耳はの特徴までらえている。これらの特徴は、田中家所有の肖像画および自画像と一致している。眼・耳・鼻・口許は、玄白自ら手鏡を取り、燈火をげて見つめた『形影夜話』の中での独語「しわみ多い顔、しょぼしょぼ眼、歯の抜けたすぼみ口」そのものである。大浪がいかに玄白の真の姿をを写し取ろうと努力したかが分かる。

玄白はかなりお洒落であったらしく、常に『被布』をっている。模様や、裏地が赤のものもあり、現在でもお洒落になりそうである。『被布』とは羽織の一種で、表着の上に羽織る外出着のことで、江戸時代の俳人や茶人また武家の奥方が好んで着た。