今回、この本の執筆に当たって文献を調べ、今も変わらぬ200年前の医の倫理にも触れることができました。自分が医師を志した最初の動機は何であったか、自分は何のために医療を生業にしているのか、考えさせられるものがありました。これはひとえにご先祖様のお導きによるものと思います。
杉田玄白の人となりを紹介します。
玄白は、晩年になってからも医師として、どんなに貧しい患者の家にも診に行ったと伝えられています。ある時、弟子の1人が「貧しい家への往診はみっともないので止めるように。」と言うと、玄白は「貧しい人の治療は少しも恥ずかしいことではない。本当に恥ずかしいことは治療を間違えたときだ。」と、諭したと言うことです。
『形影夜話』に、医師としてあるべき姿を明確に述べている。「凡医業を立たんと欲する人は、第一廉恥の心を失はず、其業は寸陰の間にも油断せず、一人にても託せられし患者あらば、我妻子の煩ふやうに思もひ、深く慮りて親切に治を施すべし。仮令如何様なる貧賤の者にても、高官富豪の人にても、療治は同じやうに心得、必ずしも志を2つにすべからず、幾重にも治療の要所を自得し、条理の立たる治術を施さんとのみ希べし。」
江戸時代、蘭方医の敬愛の的となった医聖ヒポクラテスは、芝蘭堂新元会図〔和蘭正月〕にも描かれ、将軍侍医の桂川甫周を始め宇田川榕庵、高野長英などもヒポクラテスの肖像画を描いている。
医聖ヒポクラテスの言葉「わが力、わが誠とをもって病者の為に計り、その危害を防がんことを努むべし/治療の機会に見聞したことや、治療と関係なくても、他人の私生活についての洩らすべきでないことを他言してはならないとの信念をもって、沈黙を守ります。」を、フーヘランドを始めとするヨーロッパの医師たちも江戸の蘭方医たちも、ヒポクラテスの言葉を医のモットーとしました。
杉田成卿もフーヘランドに私淑していたことは、フーヘランドの『エンシリヂオン・メディキュム』の一部を1849年〔嘉永2年〕に翻訳したことで明白です。
ドイツの医師フーヘランドの『医戒』を紹介します。
「医師は、他人のためにこの世に生を得ているのであって、自分1個人の為にではないのである。これこそが、医という職業の本体である。それゆえに、医師はただに安逸・利益・歓娯・快楽を捨てるだけでなく、自分の健康や生命も省みず、さらには自分の名誉さえも投げ打って、この最も高貴なる目的に従事しなければならない。この目的とは何であろうか、他でもない、ひたすら他人の生命と健康を救済し、これをまっとうさしめる一途である。医と言う職業は、何よりも先ず誠意に発し、これを実行し、よく考え、心・技が相互に協力し合うことが必要である。恩師に対して尊敬と感謝を捧げ、良心と威厳を持って医業を実践する。患者の健康と生命が第一の関心ごとである。患者の打ち明けるすべての秘密を厳守する。医業の名誉と尊い伝統を保持する。同僚は兄弟とみなす。人種、宗教、国籍、政党、政派および社会的地位のいかんによって、患者を差別待遇しない。人間の生命を受胎の始めから至上のものとして尊重する。いかなる強圧に遭おうとも、人道に反した目的のために、我が知識を応用しない。以上は自由意志により、名誉にかけて誓うものである。」